ベルリンアイアンの歴史と様式

歴史

ベルリンアイアンのルーツは王立ベルリン鋳造所ができた 1804年に遡ることができる。
鉄柵などの一般的な製品に加えて、1806年にロングチェーンのようなジュエリーを作り始める。
後に、メッシュや鎖で連結されたメダイヨンがあるネックレスも作られた。

アイアンジュエリーの製造は 1813-1815年にピークを迎える。
プロシアの王族が市民に金や銀のジュエリーをナポレオンに対抗するために供出するように要請したときである。

そのかわりに市民は、鉄のブローチや指輪を与えられた。
「私は鉄のために金を与えました」のような文字が刻まれていることも多い。

それ以前は、アイアンジュエリーは、仕上げの際に着色される黒っぽい色からモーニング(喪)のシンボルで、あまり魅力のあるものではなかったが、突然、愛国心や忠誠のシンボルになり、見た目も美しいとされて人気になった。

1850年頃になると、生産が落ちてくるが、世紀末に流行が終わるまで生産は続いた。
1916年に、第一次世界大戦にドイツが参加し、戦費調達のために、似たようなプロモーションが行われた。
同じように金のジュエリーを鉄のメダイヨンと交換されたが、あまり成功しなかった。

今日、ベルリンアイアンジュエリーはコレクターズ・アイテムで、本物は博物館や個人蔵で見る事ができる。 レプリカが広く作られており、インターネットなどで簡単に手に入る。

※つまり、19世紀初期に作られた物が一番質が良く、20世紀の物とはまるで異なるデザインです。
もちろん、ネットで売られているレプリカには何の価値もありません。

様式

最初期、特にナポレオン時代は、新古典主義的な雷文透かし彫り、型で作ったカメオのレプリカが見られる。

1810年以降、ゴシックリバイバルの影響が少しでてきて、尖塔や薔薇窓のような出て来る。
蝶や三つ葉、葡萄の葉のような優しげなモチーフも出てくる。

ジュエリーはとても質が高く、細やかで、レースのような見かけだが、暗く、地味に見える。
これはおそらく、仕上げの黒いラッカーのせいで、錆び付き防止の為と、モーニングジュエリーの用途があったから。

例は非常に少ないが、純度の高い金や銀、研磨されたスチールで飾られた物も存在する。

メダイオンは、ギリシアの古典的なモチーフや、ジョサイア・ウエッジウッドによるジャスパー・ワークや、
ジェイムズ・タッシーの肖像メダイオンを真似た物もある。

ナポレオンが型を持ち帰ってから、フランスでも生産されたことがある。
Gen&Jun Katagiri


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