古代ローマ アウグストゥス帝時代 インタリオ リング
実物大
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ブラウザによって大きさが違いますが、1円玉(直径2cm)を置いてみれば実物との大小の比率が分かります。
『アポロに扮装した人物の肖像』
アメジスト・インタリオ
古代ローマ アウグストゥス帝時代(紀元前27年〜 紀元14年)
インタリオ 1,6cm×1,2cm
指輪(15ct〜18ctゴールド)は18世紀後期の「コレクター・マウント」(収集家留め)様式で19世紀に作られた物です。
Sold

僕はこのインタリオを見た時、余りの完成度の高い彫りに驚きました!!
実物は1円玉より少し小さなインタリオだということを、ぜひとも忘れずに認識したうえでご覧下さい。

それは18世紀の有名なインタリオ作家のナサニエル・マーチャントをも凌ぐ素晴らしい彫りだったからです!!

今までもずいぶん多くの古代ローマのインタリオを扱って来ましたが、これほど優れた彫りのインタリオを見るのは初めてだったのです!!

それもその筈で、いろいろ調べてみると、アウグストゥス帝時代は、パクス・ロマーナ(ローマの平和)の時代で、ローマ帝国の芸術水準が最も高かった時期だったのです!!

ローマの首都を比類なき都にするため、芸術に心血を注いだ皇帝アウグストゥスは、ギリシャから、当代随一の宝石彫刻師Dioscurides ディオスクリデスとその弟子たちを呼び寄せて、カメオやインタリオを彫らせているので、多数の素晴らしいカメオやインタリオが作られているのです!!

だからアウグストゥス帝時代とその後の数十年は、ハイレベルのカメオやインタリオがアウグストゥス帝時代に作られているのです!!

この極めて貴重な古代ローマのインタリオは、昨年の11月に出会った古代のジュエリーのオーソリティーのQ氏のコレクションから譲って頂いた作品です。
古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 アンシェントジュエリー
プリマポルタのアウグストゥス 古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(プリマポルタのアウグストゥス)バチカン美術館蔵
在位:紀元前27年1月16日 - 紀元14年8月19日

志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。

ローマ市の整備。「煉瓦の市街であった首都ローマを受けついで、大理石の市街を残した」と自ら記した通り、首都の中心部から周辺部に至るまで整備を行った。当時、人口が100万人に達していた首都ローマを14の行政区に分け、防犯・防火対策を充実させる。「永遠の都ローマ」というフレーズも彼の時代に誕生したものである。

大帝国となったローマの首都を比類なき都にするため、芸術に心血を注いでいった。
友人であるガイウス・マエケナスを通じてウェルギリウス、ホラティウス、セクストゥス・プロペルティウスなどを庇護し、彼の時代にラテン文学は全盛期を迎えた。
アウグストゥスは「私は煉瓦の街を受けついで大理石の街を残した」と言っている。アウグストゥスは大胆にギリシャ様式を取り入れた大理石の芸術を次々と生み出していった。ローマ帝国の最高の芸術の水準は、アウグストゥスによって花開いた。この時代の主な建築に戦争の終結を記念して作られた平和の祭壇アラ・パキスがある。


※Wikipedia
アクチウムの海戦 クレオパトラ 大理石像
クレオパトラ
紀元前69年1月 - 紀元前30年
アクチウムの海戦 (紀元前31年 :アウグストゥスがローマ皇帝に即位する4年前)
オクタビアヌス(後の皇帝アウグストゥス)がアントニウスとクレオパトラの連合艦隊を破った海戦。

アウグストゥスの時代、彼は自らをアポロの特別な加護を受けていて、アポロの息子だとさえ言われていた。アポロ信仰が発展して、ローマの主な神々の一つになった。
アポロンの聖域(サンクチュアリ)の近くで行われたアクチウムの海戦の後、アウグストゥスはアポロ神殿を拡張し、戦利品の一部を捧げ、彼に敬意を表して五年に行われる競技大会を設けた。彼はパラティノの丘に新しいアポロの神殿も建てている。
パラティノの丘でアポロとダイアナに捧げられた生け贄と祈りは、新しい時代を祝う紀元前17年の百年祭の競技会で最高潮を迎えた。

(スポーツ、音楽、演劇、サーカスも行われた。キリスト教に改宗した4世紀のコンスタンティヌス1世の下で廃止)



古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 アンシェントジュエリー実物大

 このアメシストのインタリオは、特徴のあるヘルメットから、『アポロに扮装した人物の肖像』だと思われます。このタイプのヘルメットは、栄光や勝利を描くことで、神々を連想させる「ファンタジーなヘルメット」です。

 皇帝アウグストゥスの時代、彼は自らをアポロの特別な加護を受けていて、アポロの息子だとさえ言われていました。だからこのインタリオは、有名な政治家か軍人が自身をインタリオの肖像にアポロとして描くように依頼したのだと思われます。

 全ての皇帝、貴族、その他の宝石彫刻をさせる財力のある者は、神の栄光に浴されようとしたのです。
 このファンタジーなヘルメットには鳥と、だまし絵のように人の顔が彫られていますが、この顔はアポロだと思われます。



古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 アンシェントジュエリー メドゥーサ 古代ローマ インタリオ
アテナ 古代ローマ インタリオ A
『アポロに扮装した人物の肖像』
アメジスト・インタリオ
古代ローマ アウグストゥス帝時代(紀元前27年〜 紀元14年)
インタリオ 1,6cm×1,2cm
指輪(15ct〜18ctゴールド)は18世紀後期の「コレクター・マウント」(収集家留め)様式で19世紀に作られた物です。

B
紀元前2世紀〜紀元前1世紀
ヘレニズム又はローマンのコーネリアン・インタリオ
『メドゥーサ』
ノーサイン
大英博物館所蔵

C
紀元前2世紀〜紀元前1世紀
ヘレニズム又はローマンのサードニクス・インタリオ
『アテナ』
signed by Onesas
大英博物館所蔵
18世紀頃に金で補修して指輪加工された物。
大きく欠損していても、金で補修して指輪に加工しているのは、それだけの美術的希少価値があるからです!


BとCは、大英博物館に所蔵されている物ですが、Eに近い年代の多数のインタリオの中でも最も優れた作品だと思われる物です。
こうして比較してみると、Aの『アポロ信仰の肖像』のインタリオが如何に優れた作品かが分かります!!

サインドピースが必ずしもノーサインの作品よりも優れている訳ではないことも分かります!

実物は1円玉より少し小さい1,6cm×1,2cmなのに、これだけ大きく拡大しても、この完成度の高さを感じる美しい彫りは、公開されている大英博物館所蔵の同時代の多数のインタリオよりも優れた作品なのです!!



アポロに扮装した人物の肖像 古代ローマ インタリオ 拡大
顔の部分はたった3mmぐらいしかないことを考えると、眼と鼻の彫りが如何に素晴らしい彫りかが良く分かります!!
このインタリオを彫ったのは類い希な才能を持った宝石彫刻師に違いありません!
だから僕は皇帝アウグストゥスが、ギリシャから呼び寄せたDioscurides ディオスクリデスの作品とは言いませんが、その弟子たちの誰かの作品の可能性が高いと思っています!!
アポロに扮装した人物の肖像のヘルメット 拡大
実物大 ファンタジーなヘルメットに彫られたアポロの顔は、実物ではある一定の角度からしか見えません。それはまるで騙し絵のように・・・。


古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 白バック このインタリオは、透明感のあるアメシストを使っているので、黒バックの方が彫りがはっきり見えます。

でも本当は白バックで見た方が、天然のままのアメシストならではの美しい斑のある透明感が感じられ、そこに彫られた『アポロに扮装した人物の肖像』が何とも幻想的で美しいのです!♪

でもその美しさをカメラで表現するのは難しく、どんなに頑張っても左の画像程度にしか撮れないのが残念です。

皆さんも実物をご覧になれば、きっとその美しさに驚かれると思います!


   
18世紀〜19世紀にかけてのどんなに有名な作家のカメオやインタリオより、さらに上に位置するのが、
古代ローマのアウグストゥス帝時代のカメオとインタリオなのです!!
古代ローマ カメオ Gemma Augustea
Gemma Augustea
20-30 AD

二層のアラビア産オニキスのカメオで、Dioscurides ディオスクリデスかその弟子の誰かの作だと言われています。

22,8cm×19,6cm  厚さ2,54cmとストーンカメオとしては、巨大な作品で、且つ細密で完成度の高い彫りは、18世紀や19世紀のどんな有名作家の作品も霞んでしまいます!!

宝石彫刻師はカメオとインタリオの両方を彫る場合も多く、ディオスクリデスも皇帝アウグストゥスの肖像を彫ったインタリオを作っています。

このような素晴らしいカメオを作った時代のインタリオは、当然ながら18世紀の有名作家など比較にならない素晴らしい作品を作っているということです!!

僕は常々、18世紀の有名作家のインタリオに比べて古代ローマの優れたインタリオの評価が低すぎると思っています!!

18世紀の有名作家のサイン入りの作品が数百万円もの価格なのは、僕にはどうしても理解出来ません!

だから僕はサインドピースが嫌いんです(笑)。

白と青みがかった茶色の層の石を彫るのに膨大な労力を要する方法が使われ、イメージと背景の明確なコントラストと共に微細な表現を実現し、影絵芝居のようにも見えるカメオの傑作です!!

ディオスクリデスは、皇帝アウグストゥスのお気に入りの宝石彫刻師で、彼の作品とその模倣品は古代ヨーロッパ全土で見られます。カメオは、AD 10-20 にセットされたようですが、シーンの解釈から、その時期よりも10年後だとする学者もいるようです。

もし、ディオスクリデスか、彼の作品を習った彫刻師が作ったのなら、おそらくカメオはカエサル・アウグストゥスの宮廷で作られたのでしょう。

古代のある時期に、多分、コンスタンティヌス一世が公式に帝国の首都をそこに移して後、宝石はビザンチウムに移されました。
アウグストゥスは、ローマやイタリアの外部では、信仰の対象になっていたが、ローマ内部では、崇拝することが禁じられていました。
もし、この宝石が彼の生前(彼はAD14年に死んだ)に作られたのなら、ローマ属州や従属国の彼に取って重要な一族に贈り物として作られたのかもしれません。

一方で、もし、宝石がアウグストゥスの死後に作られたなら、一つ以上の肖像の解釈が違ってくるかもしれない。
他の観点からは、アウグストゥスが神として、生前に彫られているのだが、中央の宮廷の輪の中に、親しい友人か、親戚として彫られています。
同じような問題は、大英博物館の Blacas Cameo のような皇帝のカメオにも持ち上がっている。

このカメオの所在は、記されていないが、比較的無傷で、おそらく埋められたことはなく、1246年まで、トゥールーズのSt Sernin バシリカ公会堂の宝庫にあったと記録されています。

1533年、フランシス1世が手に入れ、パリに移しました。
そして、1590年まで記録はありません。
12000金(どのような単位か不明)で、神聖ローマ皇帝のルドルフ2世に売られました。
17世紀にドイツで金のフレームが付けられました。
この留め方から見ると、宝石はダメージを受けていたことが濃厚で、上部左側がこわれ、少なくとも一人の人物が消えていて、おそらく、ルドルフ2世の購入前のことであったでしょうが、1700年より前であったことは間違いありません。
現在、このカメオは、ウィーンの美術史美術館にあります。

※Wikipedia

ティベリウス帝の肖像インタリオの指輪

ティベリウス帝の肖像インタリオの指輪
メトロポリタン美術館蔵

ローマ共和国では、個人の印(シール)と同じく、祖先の肖像が彫られたリングが証明や偽造防止の印として用いられていました。
アウグストゥスは、著名なギリシアの職人であるディオスクリデスに彼自身の肖像制作を依頼したことが知られていますが、おそらく彼のリングは彼の後継者に受け継がれ、アウグストゥスがかつてしていたように、公務で使われていたのでしょう。
帝政時代の初期、在位中の皇帝の肖像のリングを身につけることが多く行われるようになりますが、この習慣はA.D.2世紀までしか続かなかったのです。

このインタリオに彫られた見事な肖像は、存命中の本人を写しており、ディベリウス帝が自身の統治した時代に造幣したコインの肖像と近似しています。
ティベリウスは、14A.D.に皇帝に即位したときには、56歳でした。

古代ローマ インタリオ 古代ローマ インタリオ 古代ローマ インタリオリング
コーネリアン・インタリオ
1世紀〜3世紀
指輪 18世紀
1,3cm×0,9cm
サードニクス・インタリオ
1世紀〜5世紀
2,14cm×1,87cm
コーネリアン・インタリオ
紀元前2世紀〜紀元後2世紀
直径2,2cm
重量2,91g
指輪も同時代

この3点のインタリオはいづれも大英博物館に所蔵されている古代ローマの物ですが、18世紀の完成度の高いインタリオとは違う、稚拙
さを感じる彫りです。これが古代ローマのインタリオとしては一般的なレベルなのです。
ローマ帝国は地中海沿岸諸国を属州とした大帝国で、栄えた時代も約500年余りと長く、最盛期の市民階級の生活水準は現代人の私たちから見ても驚く程の高い水準でしたが、5世紀にローマ帝国が滅亡するとヨーロッパ諸国の民の生活水準は一挙に下がり、最盛期のローマ市民の生活水準まで復活したのは、何と産業革命が始まる1750年頃だと言われているのです!

経済的に豊かだった頃の古代ローマでは、インタリオの指輪が驚くほど沢山作られています!
何故なら、カメオと違って、インタリオの指輪は印鑑の役目を果たしていたからで、文字の読み書きが出来ないのが当たり前の時代だっただけに、重要な書類にはサインではなくインタリオの指輪が印鑑の役目を果たしていたからだと僕は推測しています!!

現代の日本で言えば、シヤチハタのような量産の判子が無かった時代に、街に沢山の判子屋があったように、古代ローマでは想像以上に多数のインタリオの彫り師が存在した筈なのです!!

だから、約2千年もの時を経ても古代ローマの遺跡から、沢山の古代ローマのインタリオが発掘されているのです!
でも、印鑑として作られた実用的な物でもあったので、そのレベルはそれこそピンからキリまであるのです!!
一般の市民の指輪に付いていたインタリオを彫っていた彫り師のインタリオは、それこそ子供が彫ったような稚拙きわまりない物ですが、貴族や富裕階級の人たちが作らせたインタリオは、職人と言うレベルではなく、素晴らしい才能を持った宝石彫刻家が彫った素晴らしい芸術作品と言えるハイレベルで、その余りの落差には驚きます!

市民=兵士でもあったので、お守りとしての役目も重要なことですし、医療技術も低かった時代だけにお守りとしてのインタリオリングは、現代では考えられないとても重要な物だったのです。

AD.313にキリスト教が国教になる前では、ローマ神話に見られるように多神教のおおらかな宗教だったので、ローマ神話に基づいたバラエティーに富んだ面白いモチーフのインタリオが彫られていますが、一神教のキリスト教が国教になると、偶像崇拝を嫌ったこともあり、お守りとしてのインタリオリングが作られなくなってゆくのです。

支配階級や富裕層の人たちにとって、指輪は階級を表すシンボルでもあり、現代のファッションとしての指輪とは比較にならないほど重要な意味があったので、莫大なお金をかけて指輪を作らせたのです。それだけに金細工師や宝石彫刻家に優秀な人材が集まり、技術も伝承されたのですが、さすがのローマ帝国も国力が落ち、5世紀のローマ帝国滅亡とともに、素晴らしいインタリオもカメオも姿を消していったのです。

インタリオの指輪は沢山作られただけに、ローマ神話のモチーフだけでなく、自分のペットの犬を彫った物など、当時の生活や人柄が偲ばれる、ほのぼの感のある楽しいインタリオもあり、稚拙な彫りではあっても、ローマ人の生き生きとした人間性を感じる魅力溢れるインタリオが作られたのです。

18世紀後期からローマ皇帝にあこがれていたナポレオンの影響もあり、再びインタリオやカメオの人気が高まり、多くのカメオやインタリオが作られるようになりました。この頃は科学の発達もあり、古代ローマには無かった便利な機械や道具を使った完成度の高いカメオやインタリオが作られています。

唯、インタリオリングをオーダーした人たちは、一部の上層及び知的ブルジョア階級だけだったので、古代ローマ時代とは桁違いに少なかったと思われます。インタリオリングはお守りとしの役目や印鑑としての役目も重要なことではなくなり、階級を表すシンボルではあったとしても、趣味やファッションとしての意味が強いので、古代ローマのインタリオのような、滅茶苦茶なレベルの差はないのです。

18世紀後期に古代ローマのインタリオの人気が高まり、その需要を満たすために、相当な数の偽物も作られています。このことについては、近いうちにページを改めてお話致します。


蘇った紀元前のインタリオ!!
修復前 修復後
実はこの『アポロに扮装した人物の肖像』には、もう一つ驚くべき事実が隠されています!
何とこのインタリオは、四つに割れていた物を19世紀に修復したうえで、18世紀後期の「コレクター・マウント」(収集家留め)様式で指輪に作られていたのです!!

Dが19世紀に修復された状態の画像で、透明なガラス板に四つに割れたインタリオを松ヤニで接着して指輪加工してあったのです。
僕が修復を依頼している名人X師によれば、この修復をやった人は相当に腕の良い人だとのことでした。黒バックでの写真では、これだけ大きく拡大しても、四つに割れているなんて思えない素晴らしい修復です!

でも残念なことに、現代のように透明で性能の良い接着剤が無く、松ヤニを使っているので、変色していますし、沢山の気泡も見えるので、名人X師がインタリオを指輪から外し、松ヤニを綺麗に剥がして現代の接着剤で修復すれば、作られた当時に近い状態になりすよと言ってくれたのです。

僕はDの状態でも古(いにしえ)のインタリオのイメージがあり、このままでも充分魅力的な物だったので一晩考えたのですが、名人X師の腕を信じて、作られた当時の美しさに蘇る修復を依頼したのです。

相当な時間とお金を掛けた修復で、名人X師でなければ絶対に不可能な超難度の修復だった筈ですが、彼の修復の腕は世界一!!!
Aのように、紀元前の皇帝アウグストゥス時代のイメージに近い美しいインタリオとして蘇ったのです!!!

Dでは全く気がつかなかったヘルメットに彫られたアポロの顔が、Aでははっきりと見えるではありませんか!!!
透明感のある美しいアメシストのインタリオとして蘇った姿を見て、僕は感動で涙がでちゃいました!!

四つに割れているインタリオを19世紀にDのように修復してわざわざ指輪に加工したのは、当時のインタリオの持ち主が、その美術的希少価値を分かっていた証なのです!!!

古代ローマのインタリオでも、普通のレベルの物なら四つに割れていたら、お金と手間を掛けて修復をしたりはしないのが当たり前です。
古代ローマ インタリオ

大英博物館は、アウグストゥス帝の第三の妃、リヴィアの肖像を彫ったインタリオを買っています。
それは、サインのあるインタリオで、50%以上が(欠けて)失われた物であるにも関わらず、236000ポンドを払ったと言われています。


左のガーネットのインタリオも大英博物館蔵の作品です。

時代はローマ帝国でリヴィアの肖像ですが、サインは無いように見えます。
大きさは2,3cm

フレームがどういう物かの表示はありませんが、おそらく18世紀に作られた物だと思われます。とにかく50%以上も欠けて無くなっていても、18世紀にフレームを作ったこと、及び大英博物館所蔵であることからも、古代ローマの美術的価値の高いインタリオは、50%以上が(欠けて)失われた物でも、美術的希少価値が高く評価されていることが分かります!!

修復前 修復後
白バックで見ると、名人X師の修復後は透明感があり、美しいアメシストのインタリオに蘇ったいることがはっきり分かります!
名人X師のような見事な修復が出来る職人はロンドンやフランスにもいないので、僕は本当にラッキーです!♪
修復前 裏 修復後 裏
19世紀の修復では松ヤニを使っているので、黒バックではこんな風に見えるんです。
それが今回の修復ではこんなに綺麗に見えるんです!♪

古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 アンシェントジュエリー 斜め
透明感のあるアメシストなので、光の当たり方やバックの色などによって、いろいろな表情を見られます。
古代ローマ アウグストゥス帝時代 アメシスト インタリオ リング 指輪 アンシェントジュエリー 白バック
この指輪のように美術的希少価値が高い故に修復された作品は、気軽に毎日使う指輪ではありません。使うことは可能ですが、とても慎重に預かって頂く必要があることをご承知おきください。
粘土に押した画像 粘土に押した画像です。

粘土が柔らか過ぎるせいか、細かなディティールが出ていません。
裏 黒バック 裏 白バック



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