ララリウム ラール 左の写真の小彫像は、ラーレース(単数系はラール)と呼ばれ、ローマの家庭の守護神です。

左のような社(やしろ)はラレース廟、ララリア(複数形。単数系はララリウム)などと呼ばれています。

ララリウムに飾られている小像は、食事や宴会の間はテーブルに置かれました。
これらは家族の重要なシーン、たとえば、結婚や子供の誕生、養子を迎えるときに立ち会う神であり、彼らの社は、社交や家庭での宗教的な中心だったのです。

前ページのペンダント金具のついた金の小彫像は、裕福なローマ市民の服に付けるお守りで、身に付けない時はこのララリウムに飾るために、完全に立体的な作りで下に置いた時に立つように作られているのだと推測出来ます。


ララリウム ラール

家庭の守護神(ラーレース ファミリアレス)

伝統的なローマの家庭には、ペナーテース(戸棚の神)、ゲニウスやその他、家族の信仰する神々を一柱以上祭った社(やしろ)がありました。
食事や宴会の間、彫像はテーブルに置かれました。
これらは、家族の重要なシーン、たとえば、結婚や子供の誕生、養子を迎えるとき、に立ち会う神であり、彼らの社は、社交や家庭での宗教的中心だったのです。家族の誰かが神様のお世話を欠かしたなら、家族は幸運や報酬が期待できなくなるとされていました。
プラウトゥスの喜劇「アウルラリア」では、ケチな家長、エウクリオの信仰する神が、竃(かまど)の下に長く隠されていた金の入った壷を表に出しました。
エウクリオの神にたいする吝嗇(りんしょく:ケチな事)さを理由にそうしていたのです。
彼が自らの過ちを認めるまで、欲深さのあまり金を手に入れることができなかったのです。
そして、彼の善良な娘に相応しい持参金としてその金を使い、めでたしめでたしとなった訳です。

お供え物は別にきちんとするのですが、宴会の時に床に落ちた物は神々に捧げなければなりませんでした。
裕福な家庭では重要な機会に豚一頭を捧げたそうです。

『ローマの喜劇作家プラウトゥスの演劇「アウルラリア」に出てくる話』
あるお爺さんが彼の守護神に、家の金を隠してくれるように懇願しました。
そこで、その神は竃の中に金を埋めました。
そのお爺さんが死んだとき、神はどこに金を隠したかを彼の息子に教えませんでした。
なぜなら、彼は神様を敬うということがなかったからでした。
神様は、その息子の孫のエウクリオの娘が嫁入りできる年になるまで金を隠したままだったのですが、
花嫁の持参金として単に授けるということはしませんでした。
エウクリオも恐ろしいほどの守銭奴だったので、ラーを敬わなかったからです。
しかし、彼の娘は敬虔な質でした。彼女は名も知らぬ人との間に子を身籠っていました。
そこで精霊はエウクリオが金を見つけるまでに様々な出来事をおこし、
その中でエウクリオは、自らの欲深い行いの過ちを認め、娘に持参金として金を与えました。

プラトゥスは、ラールを長靴、短いチュニック、ベルトの付いた肌着を身につけた、痩せた男性の姿で描いている。
彼は頭にガーランド(花飾り)をしていて柔和で、上品で、敏捷であった。


ララリウム

ララリウム

帝国時代の初期、家庭内の社(やしろ)はララリア(単数系はララリウム)と呼ばれました。

裕福な家庭では、召使いや労働の場所で見つかります。
神様をアトリウム(中庭)のような場所に置くのは、家族の宗教の劇場的な役割を持たせるためです。

成人を迎える少年が、トーガを着る前に、彼の印鑑を神に捧げるなど、家族の変化や継続の象徴を保管しておく神聖な場所でもあるのです。

ララリウム ポンペイの家庭内のララリウム

質素な家では、壁のへこみ(niche)か、背景を描いてタイルを突き出した所に小さい神の像が置かれました。
ララリウム

祖先のゲニウス(中央の精霊)に献杯するラール(両脇)。
祭壇の下方の蛇は、肥沃な土地、すなわち繁栄を意味します。
ゲニウスは、いけにえの酒を受ける杯と、香りのする箱を持っています。
ゲニウスの頭は儀式のかぶりで覆われています。
社(やしろ)のティンパナム(飾り)にはパテラ(円形の杯)、雄牛の頭、生け贄のナイフが見えます。
(Wikipedia)

フォルチュナ ブロンズ像2 イシス・フォルチュナ小像
古代ローマ 1世紀〜2世紀
ブロンズ像 高さ10,6cm
Walter 美術館


彼女は、角もしくは羽の間に月の円盤があるイシスの凝った頭飾りを身につけ、彼女の長いドレスの前部には、いわゆるイシスの結び目と言われる結び目で胸で締めてあります。

紀元前4世紀のギリシア大理石像のローマンコピー フォルチュナは、幸運か不運かを示しますが、ローマ時代の人々は、フォルチュナをチャンス、幸運、大きな財産(フォーチュン)の女神として人格化しました。

左手にコルヌコピアを持った姿として描かれている左の大理石像は、繁栄と富みを表しています。

Fors Fortuna (幸運の女神)は、イタリアの女神で豊穣をもたらします。
古典期には、ミネルバやエジプトのイシスと重ねられ、元来は、ゼウスの娘であり、全ての善悪の事象を司るギリシアの女神テゥケーと結びつけられましたが、後に、幸運やチャンスの女神として崇められました。
テゥケーが、冒険的な行為(教義、くじ引き、愛、航海)を象徴していたので、主にコインに描かれ、右手に船の舵を持っていることがあります。

紀元前4世紀のギリシア大理石像のローマンコピー
ヴァチカン美術館を構成する美術館群の一つであるキアラモンティ美術館蔵

 
フォルチュナ ブロンズ像

多くの宗教は混合しています。それというのも、拡大し、他の宗教と接するようになるにつれ、新しい信仰を採用し、変化する環境に会わせて自らの習慣を修正していくからです。
ギリシアとローマの両方の信仰は、東方の神秘的な宗教に深い影響を受けています。

ローマで人気のあった信仰のほとんどが、このような神秘的な宗教と関連があり、それは死後の繁栄を願うものでもありました。
都市の擬人化としての女神テュケーのイメージは一般的には、フォルチュナ(豊穣の角を持つ裕福の女神)の要素と結合されました。
この例では、エジプトの母なる女神で同様に豊穣と富を表したイシスの凝った冠が付け加えられています。
このような小立像は、家のララリアの為に作られたのです。

古代ローマ 1世紀
高さ41cm
Walter 美術館

 
フォルチュナ ブロンズ像2 フォルチュナ 銀 小像
古代ローマ 1世紀〜2世紀
ブロンズ像 高さ10,6cm
Walter 美術館
古代ローマ2世紀

高さ6,4 cm
Walter 美術館
フォルチュナ ブロンズ像3  

古代ローマ  A.D. 100 - 200
Bronze
J. Paul. Getty 博物館


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