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ると目論んだウジェニー皇后は、ナポレオン三世に厳しい戦況の中で先頭をきって突撃することを望んだそうです。 しかしながら結局ナポレオン三世は降伏して
しまいました。 降伏翌日にパリにその情報が届くと皇后ウジェニーは摂政となり、皇太子ナポレオン4世に名目上政務を取り仕切らせることを目論みました。 フランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(1826-1920年)
1870年、44歳頃 しかしながら降伏の情報が広まると共和政を求める運動がパリ中に広がり、パリ市民を煽動した人物らによって翌日には共和政の臨時政府が樹立しました。 ウジェニー皇后のいるテュイルリー宮殿の庭
園にも「スペイン女を倒せ」と叫ぶ民衆が乱入してきたため、皇后と皇太子はイギリスに亡命せざるを得なくなってしまいました。 オーストリア出身のマリー・アントワネットもオーストリア女と陰口を叩かれ、革命の際
は「オーストリア女を出せ!」と言われたりしたそうで、フランスの国民性なのかパリジェンヌ独特の気質があるのでしょうかね。 結局翌1871年にはナポレオン三世が正式に廃位を宣言し、フランスは第三共和制へと移行
しました。 ダイヤモンド トレンブラン エイグレット フランス? 1880年頃 SOLD 再び共和政となったフランスにおいて、ティアラは王政や帝政を連想させるものとして公的な場では着用されなくなりました。 一
方でそれまでのティアラに取って代わったのがエイグレットでした。 エイグレット型ダイヤモンド トレンブラン・ブローチ&髪飾り フランス 1880年頃 SOLD エイグレットが考案された18世紀以来、初めて上流階級の
公式な場所で使うハイ・ファッションとしての地位を確立したのです。 このため1870年代以降、エイグレットのジュエリーが見られるようになるのです。 そしてエイグレットを着用したのはフランス人女性だけではあり
ませんでした。 マルチユース ダイヤモンド ブローチ イギリス? 1880年頃 SOLD ポルトガル王妃メアリー・ドルレアン(1865-1951年) マリー・アントワネットに扮したワーウィック伯爵夫人フランシス・エベリン
(1861-1938年) 新たなファッションの流行として、王族や伯爵夫人など貴族階級の中でも特に身分が高い女性たちも、こぞってエイグレットを楽しみました。右のフランシス・エベリンも、エドワード7世の愛人として
知られているイギリス貴族の女性です。彼女たちはフランス人ではないのでティアラも併用していますね。 フランスのジュエリー業界は、フランス人からのオーダーは無くなったものの、海外からのオーダーは相変わらず
あるのでティアラを作り続けています。 キャサリン妃が結婚式で着用したハロー・ティアラも、イギリス王エドワード7世が「王の宝石商、宝石商の王」として英国王室御用達だったフランスのカルティエが1936年に作っ
たものです。 時代が下り、現代ではカルティエも他のジュエリーメーカー同様、見るに耐えないジュエリーしか使っていません。それでも過去の栄光で今でも食べていけるのは、ブランドでしか判断できない人たちが需要
を主導している証なのでしょう。 そうは言っても実際本当に自力だけで食べていけて
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