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ジョルジュ・ドンの指輪

この指輪はドンからのプレゼントでアールデコのサファイヤの指輪です。
ジョルジュ・ドン ジョルジュ・ドン

青山のピアノのバーで・・
彼はハイになるからとコーヒーとブランディーを交互に飲んで楽しそうに歌を歌っていました。
左の写真のドンの左が僕です。まだ髪が短かったですね。


《ジョルジュ・ドンの指輪》

24年ほど前、ちょうど辛く悲しい出来事が次々に続いて、赤坂の店を人手に渡す少し前に、彼(ジョルジュ・ドン)との 出会いがあったのでした。彼が主役だった映画「愛と哀しみのボレロ」が日本でも公開されてバレエブームが 始まった頃です。

偶然、店に来てくれた彼は「とても良いものを置いているね」と言って、何点か買い上げてくれました。お礼にコーヒーを出してあげたのですが、彼は僕と同じでコーヒーと煙草が大好きで年も同じだったことからすかっり意気投合!♪
僕の行きつけの知る人ぞ知るコーヒー専門店コヒア・アラビカに一緒に行って深入りのイエメン・モカなどを何杯も飲み、彼は上機嫌で歌を歌い始めたのでお店のの人はびっくりしていました。
そしてコーヒー代はドンが払うと言ったのですが・・。
請求書を見て彼はさすがにびっくりしたようでした。だってちょっとしたディナーを食べられる金額だったからです(笑)
もちろん悪いから僕が払いましたけどね。彼はここのコーヒーは世界一美味しいと言って喜んでいました。

彼の最初の日本縦断講演の初日に僕を招待してくれたのですが、周りに各国の大使がいる一番良い席で感激しました。
確か舞台で煙草を吸うシーンがあったのですが、彼はほんとに煙草を吸っていました。僕と同じで結構なヘビースモーカーのようでちょっと驚きました。

彼とはいろいろな話をしたのですが、僕が「マヤ・プリセツカヤ」が当時のソヴィエト政府から表彰された時に贈られたダイヤモンド・ブローチ(最後の皇帝ニコライ2世の皇妃アレクサンドラが持っていた物)を預かって販売したことを話すと、彼は彼女と競演したことがあるけれど、我が儘だから嫌いだと言っていました。

ある日、彼がランの花を持って来てくれたので、僕は福岡公演の時に花束を贈ったのですが、後で通訳の人に聞いた話では、彼はその花束を枯れるまでず〜っと持っていてくれたそうです。

その後、来日する度に電話があり、友人として付き合っていたのですが、彼は僕の悲しい気持ちを察して「ゲンイチ、スマイル、スマイル」と言っていつも励ましてくれました。
そして別れ際に「この指輪は君が良く似合うからプレゼントするよ」と言ってくれたのです。
僕は、こんな高価な物を貰う訳にはゆかないと何度も断ったのですが、彼は聞いてくれないので僕も彼にいつも身に付けていた、19世紀のスウェーデン王妃、ソフィアのイニシャルが付いたダイヤモンドのクラバット・ピンと、ファベルジェのカフスをあげたのでした。彼はカフスをペンダントにして下げていました。僕は今でも時々その片割れを付けています。

彼は天才バレーダンサーですが、決して偉ぶれず謙虚で実に優しい人で、バレー団の人たちから尊敬されていたようです。
日本が好きで日本の美術にも感心があり能面を買ったりしていました。

その後、僕は店を手放し、あここちを彷徨っていたので彼とも会う事が出来なかったのですが、 いつ、どんな時でも指にはめていたドンの指輪が僕を励ましてくれ、そのお陰でこうして楽しく仕事を続けています。
彼は僕に生きる勇気を与えてくれたし、彼のような素晴らしい人物と友人になれたことは僕の人生にとって最高の出会いでした。

彼は最初の日本公演の頃には、全盛期を過ぎていて肉体で表現するバレーだけに悩んでもいたのです。
彼は踊れなくなる前にニジンスキーのように舞台で死にたいとも言っていました・・。

                     彼はスイスの病院で亡くなったと風の噂に聞きました。
                         どうぞ天国で安らかに・・・。
                            いつも心の中で祈っています。
                                      Gen
                           2010,06,13



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